もう一つの『日本目録規則 1965 年版』批判 -石田公道の著作論-

  • 和中 幹雄

要旨

和漢書も洋書も対象とし、著者基本記入方式に基づく国際標準原則(パリ目録原則)に準 拠し、正面から国際化を実現した日本最初の標準目録規則であると評価されている『日本目 録規則 1965 年版』(NCR1965)は、第二次世界大戦後、ダウンズ報告に基づき、日本図書 館協会目録委員会において最初に策定された著者基本記入方式であるが和漢書のみを対象 とした『日本目録規則 1952 年版』(NCR1952)の改訂版である。しかし、12 年後の 1977 年に記述ユニット・カード方式を採る『日本目録規則 新版予備版』(NCR1977)の登場と ともに、標準目録規則としての役割を短命で終えることになる。しかも、国立国会図書館 (NDL)が和漢書の目録記入に NCR1965 の適用を開始するのは 1971 年のことであり、 1977 年には NCR1977 刊行と同時にその適用を開始したので、NDL が NCR1965 を実際 に適用したのは 1971 年から 1976 年までのたかだか 6 年間に過ぎない。

NDL が NCR1965 の適用をためらったように、その立案・策定の時期からさまざまな批 判があった。志保田務が NDC1965 を評価して「国際標準への準拠が少しばかり急ぎ足に進 められ、日本の図書館の現実がおきざりにされたとの感を与える改訂であったと言えよう」 と述べている 1)が、目録作業省力化・簡略化の立場からの批判、記述独立方式という排列機 能を重視した目録機能論の立場からの 基本記入方式批判、あるいは、和漢書の伝統や慣習 に合致しないという批判など、さまざまな立場からの批判が行われた。

本稿で紹介しようとする漢学者である石田公道による NCR1965 批判は、上記の批判の 類型から言えば、「和漢書の伝統や慣習に合致しない」という批判の類型に入るが、伝統的 な書名記入論者とは異なって、著者基本記入方式の原則を評価しながらも、NCR1965 の基 本記入の標目の選択規定における大きな不備を具体的に指摘したものであった。この指摘 は、NCR1965 から NCR1977 へ移行してゆくなかで、筆者が知るかぎりでは、ほとんど議 論されることなく忘れ去られていった。基本記入の標目の選択というと一見して時代遅れ のテーマに見えるが、歴史の彼方に埋もれさせるにはあまりにも惜しいだけではなく、 FRBR の考え方をわが国に定着させるためにも重要な論点を多く含んでいる貴重な論考で あると考えるので、その概略を紹介することにした。

出版済
2014-03-17
セクション
論文