日露間の「姉妹都市」提携活動の現状と課題—現代ロシアの「兄弟(姉妹)都市」提携活動の状況からの考察—

要旨

日本での「姉妹都市」提携活動は1950年代半ばに始まり、高度成長を背景に活性化し、1980年代にはその活動レベルはピークに達した。その後、自治体財政の逼迫等により活動は停滞し、現在、その意義や必要性が問われてきている。本論では、日露間の都市提携を軸に、「姉妹都市」提携活動の現状と課題について考察する。日露間の「姉妹都市」提携は、1961年舞鶴市(京都府)とナホトカ市(沿海地方)が最初で、現在の提携数は47である。地理的な近さや歴史や政治、経済、文化等の関係に比して、日露間の提携レベルは低い。都市提携活動には「米国型」と「ヨーロッパ型」の2つの潮流がある。「米国型」は、市民対市民レベルの相互関係を深めることに重きを置く。「ヨーロッパ型」は、互いの意思疎通を図り、異なる国の都市同士の連携に重きを置く。日本は「米国型」、ロシアは「ヨーロッパ型」のスタイルをとる。この違いを理解しておくことが、その活動の活性化に関して考察する場合に重要である。ロシアでの「姉妹都市」(ロシア語ではГорода-побратимы。本論では「兄弟都市」という名称を使用)に関する研究成果が、日本ではほとんど紹介されていない。また、ロシアでは、古代ギリシャの「プロクセニア」制度や国際政治での「ソフト・パワー」の概念を基にした都市提携の研究がなされている。本論では、現代ロシア、特に2000年代以降のロシアにおける都市提携活動の研究成果を取り上げ、ロシアで考えられている活動の意義や現状を考察する。日露間の都市提携活性化に関して、以下の4点を指摘する。第1に、国際社会における平和の構築と諸外国の住民間の相互理解の推進にとって、都市提携が重要な位置付けを持っていることを再確認する必要がある。第2に、両国での意義や捉え方の違いを踏まえた都市提携の発想が必要である。第3に、文化やスポーツ、青少年の交流等は都市提携のベースであることは確かであるが、そうした内容の交流を中心とした提携にとどまった場合には、活動の持続性や住民の理解を得ることに困難が生じると考える。従って、第4に、都市提携は、持続性や地域的特性のある独自の自治体政策づくりの観点と、都市経営上の行政課題に対しての経験の交換・交流や共同研究を目指す方向性をもつことが重要であると考える。なお、都市提携の狙いを明確化し、その目的について理解をより得るためには、「姉妹都市」という名称の変更を考えるべきであると考える。

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